紫ジャス民の沼日記

ジャニーズ沼に帰ってきた奴の呟きじゃ発散できないことを書き連ねるブログ。

沼のはじまり ①

約8年前に頭から足の先まで浸かりきっていたジャニーズ沼に帰ってきてしまった。滾る想いを抑えきれずこれから色々書き記していきたいと思う。



まずは8年前の記憶を掘り起こしていかにジャニ沼にはまっていったのか振り返ってみよう。




当時ずぶずぶにはまっていた沼は"嵐"沼だった。
一番近しい友人が熱狂的な赤担であり、最初は話を合わせるために調べる所から始まった。


ハマるならとことん調べ尽くしてから
がモットーの私はまんまと、もうそれはそれは見事に頭からキレイに沼に飛び込んでいった。

ちなみに黄担
可愛らしい顔しているのにやるときは男らしくガツンと決めてくるオールラウンダーな彼にまんまとやられてしまった
ベタだが流星の絆の怒鳴りは今聞いてもドキッとする。(急に怒る感じのやーつ多いよね)
あとハンバーグのような手!頬杖のつき方が少し特徴的で指だけでつく頬杖を見るたびになんて愛らしいおててなんだろうかと悶絶していた。



それからというもの昔の音源をgetするためにまだ若かった私はTSUTAYAへ走りアルバムを借りまくり赤担の友人が持ってるものはその子に借り、着々と曲を集めていった。余すことなく。

♪愛と勇気とね~チェリ~のパ~イ
って歌われた時はなんだこの曲は!?と思ったことが懐かしい。アレルギーもなかなかにインパクトあるよね。


あと"明日に向かって"と"明日に向かって吠えろ"
題名似すぎだろっ!笑


色々こじらせていたため授業中にルーズリーフに大量の歌詞を書き、穴埋め問題や自作の歌詞カードを作っていた。あの頃の記憶力がうらやましい。


ファンクラブにも入会しコンサートにも何回か参戦しているうちにファン泣かせの怒濤のリリースの年がやって来た。沼干ばつの一因でもある。


シングル、アルバム、コンサートDVDは初回で揃えていたためここまで来たらと意地で購入したがバイトが出来ない歳で、細々としたおこづかいでやりくりするにはあの年は本当に本当にキツかった。
あの年、同年代の子達は皆買えていたのだろうか。


怒濤のリリースはTroublemakerから始まる。
マイガールも入れて良いんじゃないかとも思うけど。
そこから約2ヶ月に一度のペースでリリースされるCD。翌年もドラマをたくさんやりなさるからシングル曲が出るわ出るわ。今思えば2ヶ月に一回のリリースなら余裕じゃんとも思ってしまうが当時はそれが苦しかったんじゃ。


そんなCDラッシュに追い討ちをかけるかのように発売されるスタジアム版とドーム版DVD
いや嬉しいよ。コンスタントに出してくれることによって常に最新の5人を追い続けられる幸せも分かる。それでもDVD2本は辛かった~


いつの間にやら
応援する気持ち≦ CD DVDの初回を買い続ける
というようになってしまった。
本人たちを直接応援するにはやっぱり公式にお金をたくさん落とすことであることは分かっている。
分かっているけどもそれらが自分の中で"義務"と化してしまってきていた。

義務となるとなんだかそれは違う気がして、ただただお金を落とし続けるロボットになってしまった気がして。
徐々に熱狂的だった気持ちが冷めてきていた。
決定的になったのは日々熱く語っていた友人と違う学校に進学することだった。


進学すると今までクラスの女子たちは誰しも嵐の中でなら誰というのがあったのに、ジャニーズに興味がない子が増え、日々の生活で話が出ることが少なくなり、元々冷めかけてきいた気持ちは一気に鎮火してしまった。



それからは親もビックリするほど見向きもしなくなってしまった。見たらまた沼にはまるんじゃないか怖かったのかもしれない。いやそうに違いない。
そうして気持ちに蓋をするように私の沼は干上がっていった。

今でも少し後悔しているのはウラ嵐を買わなかったことだ。正しくは支払いをすっかり忘れていた。
ちゃんと注文はしたのに!!!!!
そのときは"いや曲とか全部持ってるし"とか強がってみたけど今でも思うということは大分後悔している笑 あのときほどPCメールを憎み通知が来るよう設定することの大切さに気づかされたことはない。





無事(!?)に沼を干上がらせることに成功した私はそれ以降5年間ほどジャニーズ沼とは近からず遠からずの生活を送ることになる。
嵐沼は脱却できてもまだまだたくさんの沼地が存在し、NEWS沼・関ジャニ∞沼・V6沼は片足を突っ込みかけていたかもしれない。
今思うとすごく濃い時間だったからもっと長く感じてたけど以外とちゃんとファンしてた時期短かったなあ。












そして5年後再び湯水の様に吹き出したのである。

②へ続く